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真実一路

真実一路

「祟り」「怨念」「因縁」

「祟り」とか「怨念」「因縁」といったオカルトチックなものはあるのだろうか。それは、ただ人間の観念にすぎないのだろうか。
都会ではこうしたものは「ばかばかしい」と一笑に付されることが多いかもしれない。しかし、地方部では今も高齢者たちのなかに、これらを軽視できない重い事柄として恐れる人がけっこういると思う。

私の両親は東北地方の寒村の出だが、母の出身の村で恐ろしい因縁めいた家があったと聞いたことがある。
その村には非健常者の出生が何代も続いている家があって、なんでもその原因が昔あった家どうしの泥沼化した諍いにあるというものだった。
詳細は忘れたが、その村のA家とB家の間になにか争いごとがあって、その結果一方の家が没落するに至ったらしい。その没落した家の当主が今わの際に「○○代まで(あの家を)祟ってやる」と言い残した。そしてその後、存続し続けた家の子孫には非健常者の出生が続いたというのである。母が若い頃に聞いた話だというから、両家の諍いがあったのは近世後半か近代に入ってからのことだと思う。

もちろん今なら、これは遺伝学による説明によって済む話かもしれない。しかし、単に偶然の出来事とは思えない不可思議な事象は確かにあるのである。
キリスト教では、神の前に「すべての人は罪人である」という前提がある。人間なら誰でも罪を犯してしまうということだ。
学校なら「イジメ」、実社会なら「パワハラ」と、その当人が法の裁きを受けない悪事はつねにある。もっとレベルを下げて、相手の気持ちを考えずに悪態をつく、陰で悪口を言う、悪意の謀をするといった人が少なからずいるはずだ。また、心ならずも相手に悪いことをしてしまったということは誰でもあるはずだし、過去のそうした言動を忘れてしまっている人も多いだろう。

これまでの経験則で、「因縁」「因果応報」といったものは実際“ある”と私はかたく信じている。


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